ぽうっと灯った蝋燭の火を、サクラは眩しそうに見つめていた。
ゆらゆらと揺れる蝋燭の火は、暖かな光で周囲をやわらかく照らしていた。
照明を落としたキルシュ亭の店内の中で、その灯火が唯一の光だった。
12本だ。
お手製のケーキの上、つぶつぶとした種の上に水滴をつける真っ赤なイチゴの間に、
存在を主張するかのように堂々と立ち、ほのかに灯る火を数え直して、僕は改めて月日の流れに驚いた。
蝋燭の火は、ゆるやかで不規則に揺れている。
その不規則さが、チカチカと定期的に点滅するライトの照明よりも、ずっと優しい光だった。
蝋燭の光は蛍の光と同じやすらぎを人に与えることが出来ると、テレビかなにかで聞いたことがあった。
十二本の蝋燭の上に、十二匹の蛍の姿を重ねてみたけれど、それが本当かどうかいまいちよく分からなかった。
ただ、その光は温かかった。
「キレイだね。」
吐息で火を消してしまわないように、サクラの隣で、蝋燭に火を灯したマイがそっとささやいた。
マイが手に持ったマッチが役目は済んだとばかりに、ひっそりと静かにしている。
サクラは蝋燭の火から目を離さずに、こっくりとうなずいた。
いつになく夢中な顔つきをしているサクラは、どこかぼうっとしているようにも見えた。
「ほらサクラ、吹き消してごらんよ。」
急かすようにというよりは、諭すようにキャシーが言った。
灯火に照らされた、向日葵を連想させる彼女の髪が、ゆるやかに反射して、ちらちらと光っている。
サクラは、もう一度こっくりとうなずいた。やっぱり蝋燭を見つめたままだ。
そのまま、ゆっくりと口から息を吹き込んで、ふーっと吹き消していった。
ひとつ、またひとつ。その灯火たちは、あっという間に娘の吹く息によって消されていった。
小さい頃に読んでいた物語の中で、僕は蝋燭を人の一生に例えることが嫌いだった。
その頃の僕は、まだ命は限りなく続く、次々と溢れ出るように力強いものだと信じていたから、
自分の手におさめることができるほどのちっぽけな蝋燭に、なぜ自分の命の長さを例えられなければならないのか、理解できなかった。
なのに、その意味が今はよく分かる。相変わらず、自分の命の長さを蝋燭に例えられるのは気分が悪いけれど。
でも、蝋燭の火と人の死は同じだ。どちらもあっという間に消えてしまう。掴もうと何度ももがいても、手の中からするりと消えてしまう。
そんな、儚さとあっけなさがそっくりだった。
頭の中にもう一度、アカリの顔を思い描いた。彼女の顔は、蝋燭の光と同じ笑顔だった。
最後の一本だけ吹き消しそびれて、サクラはためらうように一度視線を落とした後、息を吹き込みふいっと消した。
大きく、押されるように揺れた灯火は、そのまま押し倒されるように消えていった。その一瞬前に、サクラの瞳までも揺れたような気がした。
けれど、僕がもう一度確かめようと、サクラの伏せ目がちの瞳を見る前に、すでに光は消えて暗くなっていた。
店内が真っ暗になった途端に、ぱあっと照明が点けられた。
「お誕生日おめでとう!」
キルシュ亭に集まった人々が、大きな声で唱えた。僕も、にっこりと笑ってサクラを見た。
サクラは、みんなの笑顔をひとつひとつ数えるようにして見つめた後、
最後に僕の顔を確かめるように見て、やがて、にっこりと微笑んだ。
「ありがとう。」
それは、小さくてへしゃげてしまった花が、最後に精一杯の力を使って咲く姿を連想させる、透き通った笑顔だった。
。。。 。。。 。。。
キルシュ亭からの帰り道は、まだまだ明るい日差しが道をギラギラと照らしていた。
額にうっすらと汗を浮かべながら、僕とサクラは我が家までの道を辿っていた。
途中で目にする木々が、うっそうと枝に生える葉っぱを、僕たちを出迎えるように、ゆらゆらと揺らしていた。
「おいしかったかい?」
「うん、とっても。お昼からケーキが食べれるなんて幸せだった。」
「ユバ先生、張り切ってたからね。」
「おばあちゃんは、まだまだ現役だね。」
「夜になったら、もう一つケーキがあるの忘れてないよね?」
「パパが作ってくれたんでしょ?大丈夫、食べれるよ。ケーキは別腹だから。」
「はは、サクラは欲張りだね。」
「パパ。」
ぎゅっと、サクラが右手を力強く握り締めてきた。いつの間に、こんなに力がついたのかな。
どんどんサクラも成長していく。
ついこの間まで、赤子赤子していたのに。
もみじのようだった小さな手が、今しっかりと僕の左手を握っていることが、どこか不思議で、でも温かかった。
「なんだい?」
「本当に、手紙、全部燃やしちゃってよかったの?」
「うん。」
「本当に、本当に?」
くるりとしたサクラの目が、真剣な眼差しをして僕を見つめていた。
無垢で、精錬とした透明さで、それでいて力強い眼差しだった。
僕は、いつの間にかこんな眼差しをするようになった娘の顔をゆっくりと見つめ返した。
「よかったんだよ。あれできっと、ママもパパの手紙が読めるだろう?」
「でも・・・。」
「サクラ。」
「パパはね、今までうまくママを思い出にすることが出来なかったんだ。今まで、ずっとね。
ママを思い出として心にしまうには、ママの存在は大きすぎた。
だからね、ママのことは思い出としてしまうんじゃなくて、ママとの記憶と一緒に生きていくことにしたんだ。」
時の流れは緩く、そして速いものだった。
アカリが、僕から遠い場所に行ってしまって、サクラが僕の唯一になった。
何度、サクラをアカリに重ねて、彼女の心を傷つけただろう。
ああ、こんなところも似ている。あそこも似ていると、アカリと比べるごとに、何度アカリへの想いを蓄積させたことだろう。
きっと、そのことにサクラも気づいていた。気づいていて、気づかぬふりをしていてくれた。
そんな娘が、限りなく愛おしい。
小さかった娘が、いつの間にか成長し、僕の中で大きな存在になっていた。
「・・・思い出にするのと、どう違うの?」
「少なくとも、ママを思い出の中にしまいこんでしまおうとは思ってないってことだよ。ママとずっと一緒にいることにしたんだ。」
「ママとずっと一緒?」
「うん。サクラとママと、三人の家族だから。
ずっと、そうできなくて、ママの面影ばかり追っていたのは、きっと、パパの心の持ち方の問題だったんだよ。」
ねえ、アカリ。
僕はずっと、君の気持ちを汲んであげられなかった。ずっと、僕だけが取り残されてると思ってたんだ。
君の死に背を向けた。ずっと、立ち向かえなかった。向かおうとしなかった。
でも、これからはずっと一緒だから。
サクラに言った言葉を、僕は頭の中で反芻した。
もう、大丈夫だから。
本当に大丈夫なのかどうかは、自分でも分からなかった。
アカリのことをすべて、心に留めたまま生きていくことに、不安を抱かないといったら嘘になる。
アカリがいなくなってから、何年もずっと、彼女の残像だけを追ってきた。
けれどもう、決めた。彼女と共に生きていく。
それが、彼女の手紙への返事だった。
ふっと顔をあげる。
空は目に沁みるような青色をしていた。
「サクラ、ほら見て。鱗雲だ」
「パパ。」
「うん?」
「やっと空が見れるようになったんだね。」
そう言ったサクラは、太陽に負けないくらい眩しい笑顔をこちらに向けた。
僕も思わず笑顔をこぼして、サクラの頭に手を伸ばしてくしゃくしゃと撫でた。
何度もアカリと重ね合わせてきた娘の笑顔は、彼女だけの笑顔だった。
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